生老病死に向き合う
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そんな時、私はたった一人で路頭に立たれたあのマザーテレサを想う。教会や修道院からも離れ、神が心に命じるところに従って、最も弱き者、最も貧しき者への奉仕を実践し続けたその生涯は、仏教とキリスト教の隔たりを越えて、私の遙かなる道標である。宗教の原点とは一対一の場における、まさに一期一会の出会いにこそあるのではないだろうか。マザーがおやりになったことは、ただ目の前に打ち捨てられ、孤独のうちに死んでいこうとする路傍の人に暖かく手を差し延べ、人間としての愛と尊厳を与えることであったわけで、決して普遍的原理や方法論を提唱されたわけではない。
教義にもとづいて大衆に説法することはまだ易しい。修行僧に宗旨の綱要を提唱することもそんなに難しくはない。だが残念なことに、今の宗門は一対一という宗教の原点に立ちかえり、個別的で絶対的な生老病死の現場に向かい合う力を失ってしまったようだ。おそらくこのことが宗門の形骸化や無力化の起因なのだろう。その弊を打破するのは必ずしも新たな普遍的原理の提示ではなく、ただ理屈抜きの行動なのではないか。もし普遍性を言うとすれば、その行動のなかに輝く霊性の光であるように思う。
拙著「禅僧が医師をめざす理由」あとがきより